こういうことは、きっと若いうちにしか書けないんじゃないかと。若いうちは許してもらえるんじゃないかと。これを読む先生方はきっと、心の広い先生方なはずだと。そう信じて…。
今日は、自分が審判をするにあたって心がけている三点について簡単ではありますがまとめてみようと思います。
①自分が捌く。という意識
②絶対に見逃さないという気持ち。
③たかが1ポイント。されど1点。
自分が捌く。という意識。
監査を含む審判団6名編成のマジョリティルールが制定されて数年が経ちました。一部の審判が圧倒的な権限をもってジャッジすることがなくなり、副審4名が対等な立場,
平等な権限で旗を出すようになったことは、マジョリティルールの成果だと思います。しかし一方で、ジャッジに対する積極性が落ちるという懸念もあるような気がしています。
審判員は、『審判員の一人』という意識ではなく『一人の責任ある審判』という気持ちをもちつつ、その試合を自分が捌くのだという意識で臨むべきだと考えます。その意識を持った人たちで作られた編成団であればこそ活きてくるのがマジョリティルールであり、最初からジャッジの責任を分割するような気持ちの編成団であってはいけないと思うのです。
『一人の責任ある審判』として自分を戒めつつ旗を持ちたいと思います。
絶対に見逃さないという気持ち。
以前にも書きましたが、私は一年間に行われた全少、全中、はまなす、高校選抜、インターハイ、全日本大学、全日本実業団、全日本選手権、アジア大会の映像数千試合をビデオで勉強したことがあります。一つひとつの技を通常速度とスローで確認していくわけですが、その中で一つ知ってしまったことがあります。
驚くなかれ、得点(もしくはウォーニング)となる技の見逃しが全体のおよそ3割ほどあったのでした。これほど多くの得点を見逃さられるスポーツが他にあるでしょうか。サッカー、テニス、野球、一試合で一点でも見逃されれば大変な騒ぎになります。
驚いた私は、マジョリティールールが制定される前、つまり、主審に得点を与える権限がある時代のビデオも見直すことにしました。こちらは、せいぜい数十試合しか確認していませんが技の見逃しは圧倒的に少なかったように思えました。この原因について考えられるものとしては、
・審判員の配置
・審判員の意識
・技の多様化など選手の技術レベルの向上
などが挙げられると思いますが、いずれにしても自分がその試合を捌くのだという意識とともに『ただの一つも絶対に見逃さない』という強い気持ちをもって試合に臨まなければと、身の引き締まる想いでいます。
関連してビデオレビュー(コーチプロテスト)については、また別の機会に。
たかが1ポイント。されど1点。
1ポイントという響きのせいでしょうか。よもすれば、それを『勝敗を構成する一要素』程度に捉えてしまいそうです。
『勝敗を構成する一要素』たしかにその通りなのですが、実戦の場では、8対7で勝利(敗戦)するのと8対0で勝利(敗戦)するのでは、まったく意味が違います。また、8ポイントを取るまでに2.4回(8ポイントの3割)の得点見逃しがあっては、さすがにマズいと思うのです。
たかが1ポイント、されど1点。
1点を、或いは一つのウォーニングの重みを十分に噛みしめながら審判に臨みたいと思うのです。
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